› 桃園防衛隊 › 2018年06月07日

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2018年06月07日

前田祇園山笠の歴史

10ちゃんですface15

仲宿八幡宮にて
前田祇園山笠のお勉強会が開かれ
参加してみました~

「前田祇園山笠は、元久二年(1205年)に花尾城城主の
麻生氏が、疫病退散を目的として、祇園祭りに習い祇園原の地で
神事を行い、その後、麻生家氏が応永年間(1394年~)に京都の八坂神社の
スサノオノミコトを勧請(かんじょう)し祇園原に社殿を建立して以来
この地の祇園本宮・八束髪神社(はつがひげじんじゃ)として祭りが続いた
同時期に杉勾欄(すぎこうらん)に八色の手長旗を立てた旗笹山笠の巡幸が始まり
これが前田祇園山笠の起源となる。
600年以上の歴史があり、遠賀川流域で最も古くから展開されていたと考えられる。
明治初期から人形飾山笠が始まる。
現在は
仲宿八幡宮、祇園祭祭礼に「一番山笠」「二番山笠」「本宮山笠」「桃園山笠」の
四基山笠が供奉する氏子行事となった。」

ってう~ん難しいな~・・・face07

中央町・枝光・黒崎の祇園もほぼ同じなのですが
その理由も大体分かりました、以下

豊臣秀吉の九州征伐で花尾城は閉鎖・・・icon198
江戸時代、黒田氏がこの地を治めることとなり
「八束髪神社」のご分霊を洞海湾を囲む各地にまつり
それぞれが祇園祭りを始めた。
そして地方政治の中心が長崎街道だった宿場町の黒崎へと移行する

ってことで
黒崎の方が本家でにぎやかみたいになってるみたいです。
(私の主感です)

前田の由来

もともとは「馬合田」で「まえだ」だったそうです。
二番山の法被には

こう書かれてます
(実は何て書いてあるのか知りませんでした・・・face11
「ま・え・だ」と書いてあるそうです
漢字は「海・恵・多‘‘」
宮司さんが言うには間違えじゃないとのこと
でしたが
正解は「満・恵・多」だそうで・・・

なんか微妙だな・・・face07



  


Posted by 10ちゃん at 13:00Comments(0)まつり